Wednesday, November 28, 2018

Fear God, Rest in God 神を恐れ、神に安らぐ



As a young person growing up, I honestly thought church was boring.
私がとっても若かった頃、教会ってただ退屈な場所だと正直思っていました。


And the problem wasn’t mainly the church, the problem was me and my idea of God.
そして、そう思う原因の大半は教会にではなく、当時私が持っていた神様のイメージ
や私自身にあったのです。


While I was happy for God to love me, I prayed to God like I was talking to Santa Claus:
once the list of requests was finished, there wasn’t much more to the relationship.
神様が愛してくれている!と幸せな思いに満ちている時は、神様に祈りました。
でもそれはまるでサンタクロースに欲しいものをお願いするのと同じで、自分の希望が通ると
神様との関係はそこで終わってしまっていたんです。


Though the Bible says that Jesus is the bread of life, I was spiritually anorexic.
聖書ではイエス様がいのちのパンであると言われていますが、私は霊的に栄養がなく
飢えていました。


Like many trapped in this horrible way of thinking, I somehow thought the opinion of
people was more to be desired than the only thing that can really bring health and life!
そのような状態にも関わらず、当時の私は、唯一本当の健やかな人生を与えてくだ
さる神様よりも、人々の意見や考えの方をもっと欲しいと思ってそればかり求める
ようになりました。


Though I had no great love for Jesus, I did ask for forgiveness, because I wanted to
go to heaven.
心からイエス様を愛していた訳ではありませんでしたが、イエス様に赦しを求める
祈りはしていました。天国に行きたかったからです。


Because of my lack of faith, love and respect for God, my heart sought out the things
of this world to make me happy instead.
神様への愛や敬う心、また信仰が欠けていた私は、それらの代わりに自分を幸せにして
くれるこの世のものを求めるようになりました。


Behind it all, I thought God could just be another part of my life.
私の人生の、ある少しの部分だけに神様がいてくれればいいやと思っていたのです。


Knowing God loved me was nice, but it was kind of like how it is nice knowing that
your kind aunt you see once a year loves you,
神様が自分を愛してくださっていると知ることは嬉しいことでした。ですがそれは
私にとって年に一回会う親戚の優しいおばさんが自分のことを愛してくれているの
を知ることと同じようなことでした。


but I thought that if I was loved by people, then I would truly be happy.
でもそれ以上に、もし人々に愛されたなら、自分は本当に幸せになれると思ったのです。


God seemed far away, because I had pushed Him to the sidelines of my life.
私自身が神様を人生の端っこに追いやってしまい、神様がとても遠くにおられるようでした。


In many ways my story matches our modern secular culture.
このような私の話は、現在の近代化され、神様から離れている生活の中によくある
ことではないでしょうか。


God or gods of any religion fit only a certain private role, which is essentially unimportant
in public, everyday life.  
どのような宗教の神々や仏も、それぞれの決まったご利益とか役割があって、基本的に
は私達の日々の生活に影響するような重大なものではありません。


People are what’s really important and religion is only helpful to the extent that it helps
people, and so few people are very religious.
その宗教で崇められているそのものがなんであれ、それに関わる人々がそれによって
どう感じるかが重要とされます。なので、宗教を真剣に捉える人は少ないです。


Society, or the group as a whole, controls what people do, even to the point that some
people cannot leave their homes for fear of what other people think.
社会や大きなグループは、人々の行動をコントロールします。世の中には他の人に
自分がどう思われるかが怖くて、家から出ることができないという人もいます。


Instead of fearing God as God, we essentially worship other people as our god and fear
them instead.
神様を神様として恐れることをしない代わりに、私たち人間は、知らずと同じ人間を
神様のように崇め、恐れているのです。


Through pain I began to learn that people and things don’t make good gods, and then
the real God mercifully led me to a verse in the Bible.
困難やつらい経験を通して、私は自分が(情熱を注いで)崇めていた人々やモノが
良い神でもなんでもないことに気づき始めました。そして本当の唯一の神様はあわれみ
深く、私を聖書のみことばへと導いてくださいました。


I prayed to God for wisdom, randomly flipped my dusty Bible open, and saw this verse:
知恵を与えてくださいと私は神様に祈りました。そしてホコリをかぶった自分の聖書
をどことなく開いて、目に入ったのがこのみことばでした。


“The fear of the LORD is the beginning of wisdom.” - Prov 9:10
主を恐れることは知恵の初め、… -箴言9:10


Until we fear and respect God over other people and things, we will miss out on true wisdom.
他の人々やものを超えて、真実の神様を恐れ敬うことをしないなら、私たちは本当の知恵を
得ることはできません。


Rather than putting the opinions of others first, we must put God and His Word first.
他の誰かの意見ではなく、私たちは神様そして神様のみことばを最優先に置かない
といけません。


That day I asked God to take my whole life and lead me as the center of my life,
神様に私の人生全てを委ねます、私の人生の中心となり私を導いてくださいと
祈ったその日から、


and that is when God began to give real wisdom, freedom and rest in my heart.
神様は私に真の知恵、自由、そして心の安らぎを与え始めてくださいました。


When I began to see that God has all power to do all that He pleases, that He loves
me greatly, and that He is working every situation out for my good as I walk with Him,
神様が全てを成し遂げる力を持っておられることや、ものすごく
(ことばに表せないほど)私のことを愛してくださっていること、神様との歩みの
うちにどのような状況の中でも私のために神様が働いてくださっていることがわかる
ようになってくると、


then I began to fear God above the opinions of man.
私は人や彼らの意見ではなく、神様を恐れるようになったのです。


When I began to feed on the bread of life, this anorexic heart was truly satisfied for
the first time.
飢え苦しんでいた私の心は、いのちのパンを食べ始めたことで、初めて本当に
満たされるようになりました。


When we begin to trust our lives fully to His wisdom, and receive all that He has done
for us by dying on the cross to pay the punishment for our sins, God begins to change us!
私たちが神様の知恵に人生を完全に委ねた時、また神様が私たちのためにして
くださったこと、私たちの罪のための罰を十字架の上で代わりに受けてくださったこと
を信じる時、神様は私たちを変え始めてくれます。


As we are changed by His Word, God begins to work in us a faith that shows itself in the fear
of God over the fear of man, and we experience real freedom and rest.
私たちが神様のみことばによって変えられていく中で、神様は、私たちの持つ神様へ
の恐れのうちに信仰を通して働かれ、私たちを真の自由と安らぎへと導かれるのです。


And when we fear God, we begin to delight to worship Him as King over all.
私たちが神様を恐れる時、私たちは大きな喜びを持って、王なる神様を礼拝します。


Hebrews 12:28-29 says, “Therefore let us be grateful for receiving a kingdom
that cannot be shaken, and thus let us offer to God acceptable worship, with
reverence and awe, for our God is a consuming fire.”


ヘブル12:28-29 ではこのようにあります。
こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しよう
ではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように
奉仕をすることができるのです。私たちの神は焼き尽くす火です。


For the real Christian, Jesus is more than just a Savior from hell and more than just a good
buddy in the sky.
本当のクリスチャンにとって、イエス様はただ地獄から戻ってきただけの救い主でも
なければ、どこか空にいるただのいいやつでもありません。


Jesus is to be feared, meaning we deeply revere Him and marvel at Him above all
things.
イエス様は私たちが恐れ敬うべき方。他の何よりも、私たちが心の奥底から驚き
崇めるべき方です。


God is holy, and as we begin to live in His free gift of salvation, awe, wonder and
trembling in His greatness grows inside of us.
神様はきよい聖なる方です。私たちがその神様が与えられる救いのうちに生きる時
神様の偉大さに驚き、圧倒され、畏れおののきます。


Now how do these two things - love and fear - go hand in hand in our lives?
では、ここまでの話に出てきた、愛と恐れ、この二つは私たちの人生にどの世に
関係しているのでしょうか。


1 John 4:18 says, “There is no fear in love, but perfect love casts out fear. For
fear has to do with punishment, and whoever fears has not been perfected in love.”


第一ヨハネ4:18にはこのようにあります。愛には恐れがありません。全き愛は恐れを
締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全き
ものとなっていないのです。


But Ecclesiastes 12:13 says, “The end of the matter; all has been heard. Fear God
and keep His commandments, for this is the whole duty of man.”


ですが伝道者の書12:13では、結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。
神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。と言われています。


As we read the context of the Bible we begin to see that there are different kinds of fear.
聖書の文脈から見ると、恐れと一口に言っても、それぞれ意味が違うことがわかります。


First, if we know God and His perfect love, we no longer have any reason to be afraid of
anything or anyone else.
まず、神様と神様の完全な愛を知っているなら、私たちは誰も何も恐れることは
ありません。


God’s love truly fills us, and God takes care of every real need such that we have no need
to be afraid of any other person or thing.
神様の愛は、私たちを完全に満たします。そして私たちの必要は全て神様が面倒を見て
くれます。だから何も恐れる必要がないのです。


So we are not to revere God with a servile kind of fear, as though He were some
scowling, short-tempered tyrant, who we can never quite please.
もう神様っていっつもしかめっ面で気が短い独裁者みたいで恐いわ!というように、
ただ単に恐がるだけの、恐れなら、それは神様を崇めていることにはなりません。


It is this kind of fear that Christ has come to destroy in our lives.
この怖がるだけの恐れを撃ち壊すために、イエス様は来られました。


Rather, we are to have such profound respect for His fatherly greatness, majesty,
and holiness that we truly do tremble over how great He is.
ですが恐れるよりもむしろ、私たちは、イエス様の慈しんで包み込んでくれるよう
な優しさ、威厳、そしてきよさに圧倒されて恐れおののいて、イエス様を心から
敬います。


As we pray and remember persecuted Christians this Sunday, we are emboldened
by their example to fear and revere God above men.
今日、迫害されているクリスチャンたちを覚えて、彼らのために祈ります。
私たちは、迫害されてもなお、人よりも神様を恐れ崇めるクリスチャンたちに
励まされます。


God wants us to live with Him as our great loving Father.
神様は偉大な愛に溢れた父として、私たちにご自分と共に生きて欲しいと
思っておられます。


He wants us to trust Him: that He will watch over every detail in our lives, even
allowing hardships for His good purposes, and that He will keep us forever.
神様は私たちの人生のどんなに細かいところまでも知っていて、神様の良い計画
のために時には困難さえ許されることがあるけれど、決して私たちを見捨てたり
しないといことを、私たちに信頼して欲しいと思っています。


Because of this comfort, because we know that He is so great and able to provide
all we need, we are enabled to truly love God and other people, even in hard times.
ここに慰めがあります。というのも、神様が偉大な力ある方で、私たちに必要なも
のを備えてくださると知っているからこそ、どんな困難や厳しい状況でも、私たち
は心から神様を愛し、他の人々を愛することができるのです。


In many religions, gods must be appeased through sacrifices or ceremonies in order
to get on the good side of the gods.
多くの宗教において、その神々を生け贄や儀式によってなだめる必要があります。
それによって、その神々から自分に都合の良い部分を引き出すためです。


In Japan, departed spirits must be appeased lest they become angry and cause problems.
日本では、亡くなった方(故人)の霊をなだめるために仏教行事を行いますね。
それはその霊がそれをしないことで怒って悪さをしないようにするためですよね。


But these beliefs and practices are based on misplaced fear:  
ですが、こういった考えや儀式などは、間違った恐れが元になっています。


Fear of the unknown, and fear of retribution.
得体のしれないものへの恐れ、自分への報い報復への恐れ。


In this atmosphere, love for God cannot exist, and it does not exist.
そんな恐れがあるところに、神様への愛はありませんし、持つこともできません。


There is no joy or delight in God;  there is no desire to know Him and love Him more.
神様と共にあるはずの喜びもありません。もっと神様のことを知りたい、もっと
神様のことを愛したいと思う願いもありません。


But the true God, the One who created us, is far more wonderful than we can imagine.
真の(まことの)神様は、私たちを造られた方。私たちの想像をはるかに超えた
素晴らしいお方です。


The true God doesn’t want to be appeased; He wants to help us and love us personally!
まことの神様はなだめられたいのではなく、私たちを助け、愛したいのです。


And He doesn’t need our gifts because all that we have comes from Him and belongs
to Him already!
また、神様は何かの捧げものは必要としていません。この世にあるものは全て神様
によって造られたもので、もともと全てが神様のものだからです。


The only thing the real God wants from us is our joyful embrace of Him for who He is:
God over all.
まことの神様が私たちに求めるものはただ一つ、私たちが神様を神様として喜んで
受け入れることです。


He wants us to trust and respect Him for who He truly is, and then we can begin to
enjoy His greatness and really love Him.
神様は私たちに、神様を敬い信頼して欲しいのです。そうすることで、私たちが
神様の偉大さを喜び味わい、神様を心から愛することができるからです。


Psalm 147:7-11 says, “Sing to the Lord with thanksgiving; make melody to our
God on the lyre! He covers the heavens with clouds; He prepares rain for the
earth; He makes grass grow on the hills. He gives to the beasts their food, and
to the young ravens that cry. His delight is not in the strength of the horse,
nor His pleasure in the legs of a man, but the Lord takes pleasure in those who
fear Him, in those who hope in His steadfast love.”


詩篇 147:7-11  感謝をもって主に歌え。立琴でわれらの神にほめ歌を歌え。神は雲で
天をおおい、地のために雨を備え、また、山々に草を生えさせ、獣に、また、鳴く
烏の子に食物を与える方。神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。主を恐れる者と
御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。


God is not impressed with our strength, but He takes pleasure in those who respect His.
私たちの力や強さに神様は何の興味もありません。神様は、神様の力を敬う者を
好まれます。


And when God is at the center of our lives, we are on the path to true rest and joy.
神様が私たちの人生の中心におられるなら、私たちの歩む道は本当の喜びと安ら
ぎへと続いています。


I am not talking about sleeping better, I am talking about the deep heart rest and
peace that can come only by revering God as God.
安らぎ安らぎといっていますが、よく眠れるようになるとかということを話して
いる訳ではありません。私がいっているのは、心の底で(心の底の底から)感じる
ことができる安心と平安のことをなんです。それは神様を神様として崇めること
からしか得られません。


Let’s look a bit more at this through the context of Hebrews 4 today.
ヘブル4章からこのことをもう少し見ていきましょう。


There is a promise given over and over in the Bible of rest in God, given through
faith in Christ.
聖書の中で何度も繰り返し言われていて、イエス様にある信仰を通して与えら
れている、神様の安息についてのある約束があります。


Hebrews 4:1 says, “Therefore, while the promise of entering His rest still stands,
let us fear lest any of you should seem to have failed to reach it.”


ヘブル 4:1 こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているの
ですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなこと
のないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。


As this world is full of struggles, hardship, pain and death, we are all very much in
need of lasting peace and rest.
苦難や困難、痛みや死が満ちているこの世に今生きている私たちは、神様の平安
のうちに憩い、休む(安息をとる)必要があります。


People look for rest in buying new things, in taking vacations, or in the status of
a good job,
何かを買うことで、安らぎを得ようとする人がいます。バケーションにいって安らぎ
を得ようとする人がいます。良い仕事に就くことで安らぎを得ようとする人がいます。


     but these things can only comfort us for a short time and then we are restless
again.
そういったものは、私たちに慰めや安心を与えてくれますが、それも一時的で、
私たちの心はすぐにまた落ち着かなくなります。


However, in Christ there is deep and eternal comfort and rest, that we can all begin
to enjoy today.
ですが、イエス様のうちには深く確かな永遠に続く慰めと安らぎがあるのです。
それは今日からでも持つこと(味わうこと/楽しむこと)ができます。


As verse 1 says in the Amplified version: Therefore, while the promise of entering
His rest still holds and is offered [today], let us be afraid [to distrust it] ...”


先ほどのヘブル4章1節のもう少し説明を加えた訳では、日本語ではこの
ようになります。こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ(今日も)
残っているのですから、…私たちは(神様の約束を疑うことを)恐れる心を持とう
ではありませんか。


God is like the great guardian for true peace, security and rest in this world.
神様はこの世界の中で、まことの平安、安全安心や安らぎのための強い守り
人のようです。
When I was little, my uncle had a large dog on his farm.
私が幼い頃、叔父が農園で一匹の大きな犬を飼っていました。


And as a little kid, I was very much afraid of this huge creature.
私はその大きな犬がとても怖かったんです。


But I’ll never forget what my uncle said.
でも、叔父さんが私に言ったことを決して忘れません。


He said, “This dog wants to protect us, so you have nothing to be afraid of,
彼は私にこう言いました。「この犬は私たちを守りたいんだ。だからマーク
が恐がることなんて何もないんだよ。


    ... that is, unless you run away from him, because then He will chase you down.”
まぁ、そうだな、マークがこの犬から走って逃げたりしない限りは大丈夫だよ。
もしそうなったら、この犬はきっとマークを追いかけて捕まえようとするだろうね。」


In a much greater way, God plans everything for our good and will guide us safely
to heaven,
もちろんこれとは比べ物にならないでしょうが、神様は全てのことを私たち
の益としてくださるための計画を持っていて、また、私たちを安全に天国に
導いてくれます。


  … that is, as long as we do not run away from Him.
まぁ、私たちが神様から走って逃げたりしない限りは、です。


If we run away from Him, we do have very much to be afraid of.
もし私たちが神様から逃げるなら、本当に恐ろしいことが待っています。


As the verse here says, “let us be afraid to distrust it (His promise of rest in
Christ.)”
4章1節では、私たちは神様の約束(=キリストのうちある安息)を疑うことを
恐れるべきです。


In Matthew 10:28 Jesus says, "Don't be afraid of those who want to kill your body;
they cannot touch your soul. Fear only God, who can destroy both soul and
body in hell.”


マタイ 10:28でイエス様はこのように言われています。
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんな
ものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。


We should be afraid of going away from God because it would result in the worst
thing imaginable — separation from God and His goodness as we suffer in hell.
私たちは神様から離れていくことを恐れるべきなんです。というのも、神様から
離れたら、考え得る最も恐ろしい最悪な結果が待ち受けているからです。ー神様
と神様の恵みから断絶され、私たちは地獄で苦しみ続けるのです。


*On the other hand, if we are in Him, and belong to Christ by faith, we can rest in His
protection and care, assured of His invincible plan and purpose.
それとは反対に、もし私たちが神様のうちに留まり、信仰によってイエス様ととも
にあるなら、私たちは神様の守りの中で安らぎ、神様の揺るぎない計画と目的に
確信を持つことができます。


As God says in Isaiah 41:10, “Fear not, for I am with you; be not dismayed, for I
am your God; I will strengthen you, I will help you, I will uphold you with My
righteous right hand.”


イザヤ41:10で神様はこのように言われています。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。


If God is on our side, not only do we have nothing to fear, but we can find true rest.
もし、神様が私たちとともにいてくださるなら、無敵!であるだけでなく、私たち
は本当の安らぎを見出すことができます。


Therefore, God is not someone to use as you move onto other things.
神様はあなたが持っている目的を達成するための手段に使われるような、お方
ではありません。


He is a God to embrace as God, because He is God and He alone has the power
to meet every need we have.
神様は神様です。神様だけが私たちの全ての必要を満たす力があります。


Now, I teach 4th and 5th graders science here at KIU.
わたしはKIUで4年生と5年生の科学を教えています。


As I was teaching my students about the sun a few weeks ago, I said, “God is very
much like the sun.”
少し前に、クラスで太陽について教えていた時、わたしは「神様は太陽のような
方です」と言いました。


500 years ago most people thought that the sun and planets travel around the Earth.
500年前、ほとんどの人は太陽や他の惑星は地球の周りを回っていると思っていました。


Really, it is natural to sinful human nature, to think that we are at the center of
everything.
本当に、そのように考えるのは罪深い人間の本質で、私たちは全てのものの中心
に自分がいると勘違いしてしまうのです。


Then 500 years ago, an astronomer named Galileo Galilei invented a telescope
and worked out the math to discover that the Earth and all the other planets actually
go around the sun.
500年前は、天文学者のガリレオ・ガリレイが 望遠鏡を発明して計算したりなん
やらかんやらした結果、地球や他の惑星は、実は太陽の周りを回っていたということ
を発見したのです。


Everyone was angry. Even the Catholic Church got upset and threw Galileo into jail,
even though he too was a Catholic!
ガリレオの発見を聞いた人たちは怒りました。カトリック教会も怒り心頭でガリレオ
を牢屋に叩き込みました。ガリレオ自身もカトリックだったにも関わらずです。


They could not imagine that God would not make man to be the center.
神様が人間をこの世界の中心として造ったのではないということを、彼らは理解
できなかった、想像すらできなかったのです。


But God made the sun and the universe so that we could see a bit of what He is like.
神様は太陽とこの宇宙を造られました。私たちはその造られたものを見て、神様
がどのようなお方なのかを、少しかいまみることができますね。


As Psalm 19:1 says, “The heavens declare the glory of God.”
詩篇 19:1 にはこうあります。天は神の栄光を語り告げ、…


As everyone knows, the sun gives us physical power that we depend on everyday.
ご存知のように、太陽は私たちが毎日必要とする(生物学的に)肉体的な力を
与えてくれます。


It gives the light we need to see, and the energy plants need to grow so that we
can breathe and eat.
太陽は目で見るための光を与え、植物に成長のためのエネルギーを与えます。
そのおかげで、私たちは新鮮な空気を吸ったり、食べ物を食べることができるのです。


And the tremendous gravity of the sun keeps us from hurtling out into a cold,
dark death.
そして、太陽の大きな重力(引力)はこの地球が太陽から離れて、寒くて暗闇
に包まれて死んでしまうことから守ってくれています。


Like the sun, God is the greatest thing in solar system of our lives.
太陽のように、神様は私たちの人生の中心となる一番重要な方なのです。


He is the center - and His greatness and goodness give us every single good thing
that we have, including life itself.
神様が中心なのです。そして神様の偉大さ恵み深さは、私たちに全ての良いものを
与えてくれます。いのちもその一つです。


He is rightfully the center, and we have no lasting hope if we reject Him as the center.
中心は神様です。もし神様を中心にすることを拒むなら、そこには希望は存在しません。


One time I was jogging on the trail next to the Kizu River.
以前、わたしが木津川の堤防でジョギングしていた時、


I saw a man there praying towards the West.
西に向かって拝んでいる男性がいました。


And as I looked that direction, I saw that he was praying toward a beautiful sunset.
その拝んでいる方向から、彼が綺麗な夕日に向かって拝んでいることがわかりました。


I thought that while that man was right to be in awe of the sun, the sun merely points
to Someone who is much much greater and more wonderful, and who in fact made
the sun.
この男性が夕日の素晴らしさに圧倒されたのは正しい。太陽は、比べることの
できない、それよりさらに偉大で素晴らしい方を示しています。その方はその太陽でさえつくられた。


Let us allow every “planet” in our lives, everything we own, be guided by our good
God.
私たちの人生の中にある、全ての惑星を全てのものを、良い神様によって導いて
もらいましょう。


Let’s allow the gravity of His greatness be the main pull and awe of our lives.
神様の偉大さに、私たちが最も魅力的に感じ、感嘆するべきもので、引力のよう
に彼に引き寄せられることを選んでいきましょう。


People fear whatever they view as the greatest and most powerful thing in their lives.
人は、なんであれ自分の考えうる最も偉大で力あるものを恐れます。


May I suggest to you that no matter what fear you have, God is greater?
もし誰か何かを恐れている人がいるなら、こう質問します。その恐れているもの
は神様よりも偉大なものですか?


Are you happy that there is Someone greater than man in the universe?
この宇宙で人間と比べ物にならない偉大な方がいるんです、あなたは嬉しい
ですか?


Or have you been tricked, as I was, into thinking that little sinful people like us are
somehow greater or more important?
わたしがそうであったように、小さな罪深い人間の方が偉大に感じたり、もっと
大事だと思ってしまっているでしょうか?


All of the other people and things in our lives and of this world have their being,
purpose and lasting joy as they center around Him as God.
私たちの人生のうちに存在する人々やモノ全て、またこの世界の全ては、神様
を中心にしてそれぞれの目的を果たしつつ、ずっと続く喜びを持っています。


As the apostle Paul said in Acts 17:28, "In Him we live and move and have our
being."
使徒パウロはこのように言いました。使徒17:28 私たちは、神の中に生き、動き、
また存在しているのです。


As soon as we accept that reality, the more we can live in confidence and rest, and
heaven will just be a progressive fulfilment of that great rest in Him.
この事実を自分で受け容れると、私たちはもっと神様に造られたものとして自信
をもって生きることができます。安らぐことができます。そして、天国(御国)
が神様にある完全なる安息の地として迫って来るでしょう。


Hebrews 4:2-3 says, “For indeed we have had good news preached to us, just
as they also; but the word they heard did not profit them, because it was not
united by faith in those who heard. For we who have believed enter that rest,
as He has said,  “As I swore in my wrath, ‘They shall not enter My rest.’”


ヘブル4:2-3 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。
ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが
それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。信じた
私たちは安息に入るのです。「わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼ら
をわたしの安息にはいらせない。」


In the Old Testament, God rescued the Israelites out of slavery in Egypt by literally
opening up the Red Sea and allowing them to walk through on dry ground.
旧約聖書で、神様はエジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を救い出しました。
神様が紅海を割って、海の乾いた地面の部分をイスラエルの民に歩かせたのです。


The good news that God was loudly proclaiming was that, because of Him alone,
their hard slavery could be over, and they could find peace, rest, and freedom.
神様が高らかに宣言したのは、神様だけに、こうやってイスラエルの民の苦しい
奴隷としての生活を終わらせることができて、彼らが平安や安息、自由を得る
ことができたのだという良い知らせでした。


But that good news of rest with God in the new land did not benefit them because
they would not believe that God was truly good.
しかし、新しい土地で神様と共に安息を過ごすという良い知らせは、必ずしも彼ら
の喜ぶことではありませんでした。というのも、イスラエルの民は、神様が本当に
良いお方であることを信じることができなかったからです。


In looking more to their immediate problems in front of them, and forgetting God’s
greatness and His promises, they complained and later they froze in fear.
自分たちが直面している様々な問題を見れば見るほど、彼らは神様の偉大さや約束
を忘れ、不平や文句を言い、最後には恐れで固まってしまいました。


They could not believe that God was to be feared more than the giant-like people who
were living in the land God had promised to give them.
神様がイスラエルに与えると約束していた地に住んでいた巨人たちよりも、神様
こそが恐れるべき方であるということを、彼らは信じることができなかったのです。


Even though God said that He would drive those people out of the land because of
their great wickedness and sins, the Israelites did not believe God.
巨人たちの邪悪さや、罪深さのために、神様が巨人たちをその地から追い出して
あげると言っても、イスラエルの民は神様を信じなかったのです。


Even though they had seen God do great miracles to free them from slavery, they did
not believe that God could do what He had promised.
神様の素晴らしい奇跡によって、奴隷の生活から自由になったことを見て経験して
きたにも関わらず、彼らは、約束されたことを、神様が本当にしてくださると信じて
いなかったのです。


And so God swore to them that they would not enter His rest.
だから、神様は彼らを神様の安息にいれないと誓われたのです。


For 40 years they languished in that desert, near but not in the Promised Land
of peace and rest, simply because they would not trust God!
40年彼らは荒野でさまよい、すぐそこにある平安と安息の約束の地には入れ
ませんでした。それは単純に彼らが神様を信頼しなかったからでした。


How many languish today needlessly because they will not turn and seek their
Creator God in faith?
自分を造られた神様を求めず、神様に立ち返ることもなく、結果、あてもなく
さまよっている人は今どれほどいるでしょうか。


How many fear lesser things and suffer simply because they do not fear God
as God?
神様を神様として恐れずに、小さなことを恐れ苦しんでいる人はどれほどいる
でしょうか。


The reason those Israelites never made it to Canaan was unbelief.
イスラエルの民がカナンの地に入れなかった理由は、不信仰のためでした。


Unbelief in God forfeits rest. 神様に対する不信仰は安息(安らぎ)を取り去ります。


Heb 3:16-19 says, “For who were those who heard and yet rebelled? Was it not
all those who left Egypt led by Moses? 17 And with whom was He provoked
for forty years? Was it not with those who sinned, whose bodies fell in the
wilderness? 18 And to whom did He swear that they would not enter His rest,
but to those who were disobedient? 19 So we see that they were unable to
enter because of unbelief.”


ヘブル 3:16-19ではこのように言われています。 聞いていながら、御怒りを引き
起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た人々の全部では
ありませんか。神は四十年の間だれを怒っておられたのですか。罪を犯した人々、
しかばねを荒野にさらした、あの人たちをではありませんか。また、わたしの安息
にはいらせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちの
ことではありませんか。それゆえ、彼らが安息にはいれなかったのは、不信仰の
ためであったことがわかります。


You see, their fear of man and their unbelief towards God led to disobedience and
then to judgment.
イスラエルの民の、人への恐れと神様への不信仰は、彼らを不従順にし、最後に
はさばきへと導きました。


And as you can see, they did more than languish — they died there in their sins.
また、彼らはたださまよっただけではありませんでした。イスラエルの民は、
自らの罪によって死にました。


Today we also have nothing to fear except going away from Christ, because He
has come to save all of us who will simply trust Him with their lives.
今日、私たちはイエス様から離れること以外に、恐るものは何もありません。
それはイエス様が、彼に信頼し人生を委ねる私たちを救うためにきてくださったからです。


To all who have not trusted God in the past and have sinned, there is still good news!
まだ神様に信頼していなくて、罪を犯し続けている人には、朗報です!
良い知らせです)


He has given us a lifeline of hope in taking our punishment for us on the cross.
イエス様は十字架上で私たちの罪の罰を取り去ってくださり、代わりに私たち
に希望という命綱を与えてくださいました。


Rest can be ours because of what He has done to save us there on the cross.
私たちの救いのために、イエス様が十字架上で成してくださった贖いのゆえに
私たちには安息(安らぎ)があるのです。


Heb 4:6-7 says, “Since therefore it remains for some to enter it, and those
who formerly received the good news failed to enter because of disobedience,
7 again He appoints a certain day, “Today,” saying through David so long
afterward, in the words already quoted, “Today, if you hear His voice, do not
harden your hearts.”


ヘブル4:6-7  こういうわけで、その安息にはいる人々がまだ残っており、前に福音
を説き聞かされた人々は、不従順のゆえにはいれなかったのですから、神は再びある
日を「きょう。」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを
通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはなら
ない。」と語られたのです。


Let’s not harden our hearts today as the Israelites did in the wilderness, because God
has again graciously appointed a day of salvation in Christ called “today”.
荒野でのイスラエルの民のように心をかたくなにしないようにしましょう。神様は
恵み深く、イエス様にある救いを「きょう」与えてくださっています。


Joshua, who eventually did bring the next generation into the Promised Land, did not
bring full peace and rest to the people.
荒野でさまよったイスラエルの民の次の世代の人々を約束の地へと導いたヨシュアは、
民に完全な平安と安息をもたらすことはできませんでした。


They still went away from God, and so they lived with constant fear of other armies
around them.
またも、神様から離れて行ったイスラエルの民は、彼らを取り囲む別の軍勢を恐れ続け
ることになりました。


Hebrews 4:8-11 says, “For if Joshua had given them rest, God would not have
spoken of another day later on. 9 So then, there remains a Sabbath rest for the
people of God, 10 for whoever has entered God’s rest has also rested from his
works as God did from His. 11 Let us therefore strive to enter that rest, so that
no one may fall by the same sort of disobedience.”


ヘブル4:8-11
もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを
話されることはなかったでしょう。したがって、安息日の休みは、神の民のために
まだ残っているのです。神の安息にはいった者ならば、神がご自分の技を終えて休
まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。ですから、私たちは、この安息
にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりも
いないようにしようではありませんか。


Because of Christ’s work on the cross, our role is simply to trust His work and rest
from our striving to achieve peace, rest and salvation by our own efforts.
イエス様が十字架で死んでくださったことのゆえに、今私たちに与えられている
役割は、主がなさることに信頼し、自分自身の努力によって救いや平安、安息を
得ようとすることをやめることです。


We have no need to continue to strive to be good in order to win approval from God.
神様から褒めてもらうために、私たちは必死に良い人になろうとしたり、何か良い
行いをしたりする必要はないのです。


We must strive simply to know Him and trust Him,
私たちはただ、神様を知り、神様に信頼することに一生懸命でいなければいけません。


      and as we do, He keeps us from falling away into hard-hearted disobedience.
そうすれば、神様は、私たちがかたくなで不従順にならないようを守ってくれます。


But how do we do that? Especially since Romans 3:18 says this of all people:
“There is no fear of God before their eyes.”


でも私たちはそれを、一体どうやってすることができるのでしょうか。
ローマ3:18では全ての人のことをこのように表しています。「彼らの目の前には、
神に対する恐れがない。」


We depend on Him alone to change our hearts through the Holy Spirit as He works
through the hearing of His Word.
みことばを通して聖霊様が私たちのうちに働き、それによって私たちの心が変えられ
神様に信頼することができるのです。


Isaiah 11:1-3 has this prophecy of Christ:  
イザヤ11:1-3にはイエス様に関する予言があります。


There shall come forth a shoot from the stump of Jesse, and a branch from his
roots shall bear fruit. 2 And the Spirit of the LORD shall rest upon Him, the Spirit
of wisdom and understanding, the Spirit of counsel and might, the Spirit of
knowledge and the fear of the LORD. 3 And His delight shall be in the fear of the
LORD.”


エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、
主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識
と主を恐れる霊である。この方は主を恐れることを喜び、…


When the Spirit of God comes, He draws us into the heart of Christ through faith.
神の霊(聖霊様)が来るとき、信仰を通して、神様は私たちをキリストの心へと
引き寄せます。


By God’s power, we also begin to fear God, and we begin to trust His wisdom,
understanding and might.
神様の力によって、私たちは神様を恐れるようになり、そして神様の知恵や悟り、
御手の業に信頼するようになります。


And in this we can finally find the rest and security that lasts forever.
その過程の中で、私たちは永遠に続く安息と安心を見つけることができるのです。


Finally, I want to tell you a story.最後に、一つの話をして終わりたいと思います。


In 1763, the Reverend Augustus Toplady wrote the famous hymn, “Rock of Ages”.
1763年、オーガスタス・トップレディーという牧師が有名な賛美歌を書きました。
(ロック・オブ・エイジズ)日本語では「ちとせの岩よ」という名前で知られています。


He was travelling along a gorge one day when he was caught in a great storm.
彼がある山あいを旅行しているとき、ひどい嵐にみまわれました。


Finding shelter in a gap in the gorge, he immediately found rest and safety.
谷間の裂け目に避難できる場所を見つけると、彼はすぐにそこに入って安全に
休むことがdきました。


And so he wrote of God: 彼は神様のことを書きました。


Rock of Ages, cleft for me,      偉大な岩、千歳の岩よ、私のために裂けて
Let me hide myself in Thee;     主のうちに私を隠してください
Let the water and the blood,        主の裂けた脇から流れ出る
From Thy riven side which flowed,      水と血潮で
Be of sin the double cure,         私の罪とけがれを
Cleanse me from its guilt and power.    洗いきよめてください


(In other words, I rest in Christ and His death on the cross alone to protect and save me.)
(私はキリストのうちに安息を得た。キリストの十字架での死のみが私を救い守る。)


Not the labour of my hands         私の力では
Can fulfill Thy law's demands;       主の御心を行うことができません
Could my zeal no respite know,      私の消えない情熱も
Could my tears forever flow,        私の流れ続ける涙も
All for sin could not atone;         私の罪をあがなうことはできない
Thou must save, and Thou alone.  主よ、あなたでなければ あなただけが救えるのです


While I draw this fleeting breath,       私が息をしている間も    
When mine eyes shall close in death,    死を迎え私の目が閉じる時も
When I soar to worlds unknown,       私がまだ見ぬ世界へと上る時も
See Thee on Thy judgement throne,    さばきの御座で主を仰ぎ見る時も
Rock of Ages, cleft for me,        偉大な岩よ ちとせの岩よ 私のために裂け
Let me hide myself in Thee.         主のうちに私を隠してください


verse 9: “So then, there remains a Sabbath rest for the people of God.”
ヘブル4:9にはこうありました。したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ
残っているのです。


In other words, today, that rest, that Rock to hide ourselves in is still open to all who
fear God and remember that He is stronger than all of our problems.
別の言い方をすれば、その安息は私たちを覆い隠す大きな岩です。そしてその岩は
今日も、神様を恐れ、どんなものよりも神様の方が強いということを覚えている全て
の人のために、開かれています。


And this truth is the foundation of the message today:
これが真理で、今日のメッセージの土台です。


     There is a wonderful rest open to each of us today.
今日、私たちに素晴らしい安息の扉が開かれています。


     God is our rest. The door is not shut. The time is not past.
神様が私たちの安息であり、安らぐところです。そのドアはまだ開かれてい
るのです。


     You have not yet missed your opportunity.
どうか、みなさんに与えられているこの機会を逃さないでください。


Take to heart the words of verse 9:  ヘブル4:9を真剣に考えてください。


The door of salvation is open. The time is now to enter. 救いの扉は開かれています。
今こそ、安息にはいる時です。


God is calling us this morning, put your trust in Him and rest in Him as your God.
神様は今、あなたに呼びかけます。神様に信頼して、神様のうちに安らぎを得て
ください。


Let’s pray. 祈りましょう


Dear Lord, we thank you are great and that you are greater than all of our fears.
愛する主よ。あなたが何よりも素晴らしい偉大な方で、私達が恐れる全てのもの
よりも大きくて偉大であることに感謝します。


We thank you that you are our great Father whom we can run to and depend on.
そして、神様、あなたが私達の偉大なお父さんで、私達があなたに駆け寄りこの
身を委ねることができることを感謝します。


Please help us to honor and revere you above the things and people of this world.
どうか私たちを助けてください。この世界の人々や物ではなく、一番にあなたを
褒め称え、崇めることができるように、私たちを助けてください。


May we able to rest in your help and provision each day.
一日一日、あなたの助けと備えのうちに、私達が安らぎを得ることができますように。


We thank you for your great love and grace in Jesus Christ and we receive afresh today.
イエスキリストにある、あなたの偉大な愛と恵みに感謝します。それを今日改めて
私達が受けることができることにも感謝します。


It is in Jesus’ mighty name we pray, Amen.

イエス様の素晴らしい力あるお名前によってお祈りします。